I wish...       ― UP or DOWN ―

 人がたくさん集まる場所、たとえばデパートのような。
 そんな足跡だらけの場所にあって、不思議と汚れ一つ付かない部分があったりする。
 そんな場所には大概、見エナイモノが座っている。人々はそれと気づかず避けて歩いているのだ。今来ているデパートには二箇所もあった。危害を加えるわけではなく、ただそこに静かに座っていたいだけのモノを除ける理由は僕にはない。問題はそんな静かなモノ達ではなかった。
 北側のエスカレーター、四階から五階への上り。そこから上へは違う場所にあるエスカレーターで上るようだった。そこから上は八階まで吹き抜けになっていたのだ。その上り口に来た僕は、明らかな違和感を覚えた。なにも知らない人が見たって分かる。
 手すりの色が違うのだ、左右で。
 左側はあちらこちらに黒ずんだ部分のある茶色に近い赤、右側は染み一つない鮮やかな血のような赤い色。左側だけ掃除をサボったかのようにしか見えないその色は、しかし明らかに異質なものとしてそこにあった。僕は人の途切れたところを狙って、誰も触れない右側の手すりに手を伸ばした。
 「!!」
 青白い静電気のようなものが指先を弾き返す。その瞬間、回りの時間が止まったかのように見えた。しかし見渡すと先程までとはどこか様子が違う。
 「ここは君の時間か・・・」
 並んでいる商品の季節が半年ほど変わってしまっていた。目の前の、誰も触れていないはずの手すりにははっきりと血液が付着したまま、低いモーター音だけを響かせて動き続けていた。ほぼ一周するほどの時間の沈黙、その後ろ頭上から小さな声が「そうよ」と答えた。僕は吹き抜けのエスカレーターホールを見上げた。
 吹き抜けの一番上、八階から見下ろせるようになった回廊、その手すりの上に黄色いひまわりの絵柄のTシャツにデニムのショートパンツの女の子が身を乗り出していた。そのまま頭からこちらに向かって落下してくる。
 目の前で事故が再現された。真っ赤な手すりの上にたたきつけられた女の子は、エスカレーターの無機質な回転に引きずられて上り、五階の床にドサリと落ちた。僕が黙って立っていると、女の子はゆっくりと体を起こした。血の後一つないその姿はふわりと宙を舞い、僕の目の前に着地する。
 「もっと柵が高かったら、あんなところにイスなんてなかったら、落ちなくてすんだのに。そう思わない?」
 僕は女の子の横をすり抜け、止まっているエスカレータの真ん中まで歩いて上った。そして身を乗り出して上を覗いた、ちょうど少女がぶつかった位置で。結構な高さだ、落ちてみたいとは思わないだろうし、落ちないように気をつけようと思うのが普通だろう。そして親は注意するだろう、子供が身を乗り出したりしていたら。
 「君は、何が一番の原因だと思う?」
 「それは、決まってるじゃない!」
 バチバチと青白い静電気のようなものが女の子の体から発せられる。
 「本当に?」
 「それは・・・」
 僕の問いかけに、逆立っていた髪の毛がゆっくり降りる。静電気も消滅した。僕はゆっくり元いた場所に下りた。女の子の前にしゃがむとその頭を抱きしめた。
 「本当は分かっているんだよね。やっちゃいけないことをしたってことも、お母さんが止めようとしていたことも」
 小さな頭が腕の中で頷いた。突然奪われた命を取り戻したくて、ここで訴え続けていた女の子だったが所詮は死者、その時点で時間が止まってしまっていることに気づく訳もなかった。
 「私、ここにいたら迷惑かなぁ」
 「いや、構わないと思うよ」
 女の子が小さく発した言葉に、僕はいささか能天気に答えた。この子なら、ここにただいるだけで満足するだろう、と思ったからだ。依頼主の意向には反するだろうけど、これ以上何も起こらないのは保障済みだから良しということで。
 「ありがとう」
 小さな声とともに彼女の姿はエスカレーターの手すりの中程に移動していた。そこにちょこんと腰掛けて、吹き抜けの上のほうを見あげた。その瞬間時間が戻った。
 僕はそのエスカレーターに乗った、誰も触れたがらない右側の手すりにつかまって。そしてもう誰も見ようとしない女の子のそばまで来ると、彼女が見上げているものを見てみた。そこには光あふれる吹き抜けと、少しだけ高くなった手すりと、手すりから離れた位置にボルトで固定されているベンチが見えていた。僕はそのまま五階まで上った。振り返ると女の子は、ただひたすら吹き抜けを見上げているだけだった。

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